タオ

第51章 道(タオ)と徳(テー)

「道(タオ)」っていうのは

 萬物を生み出す働きのこと。

 

この生み出された萬物を

 動かす力を「徳(テー)と呼ぶ。

 

道(タオ)が生んだものを

 徳(テー)が養う。

 

養い育てて、形をつくり

 存在する場を与える。

 

だから萬物はみんな

 道(タオ)を尊び

 徳(テー)を大切にするべき。

 

萬物が

 道(タオ)や徳(テー)を尊敬するのは、それが

 無理に押し付けられたものじゃないから。

 

自然に生まれて、

 その本来の力を受け付けられたから。

 

道(タオ)と徳(テー)は、

 法律や社会道徳じゃなく

 ものの内にある力。

 

だから道(タオ)とは

 すべてを生みだし、養い、育てて

 成熟させ、そして・・・・・・・

 

その果実が地におちたら埋めてやる。

 

生み出したから、

 自分のものにしないし

 大変な働きをしたからって

 威張らない。

 

成功して人々の頭に立ったからって

 支配して操ったりしない。

 

だから・・・・・

 

こういう道(タオ)の働きを

 玄徳、神秘のパワーと人は言う(笑)

 

 

第50章 命を大切にする人は

人は生まれて、生き、死んで、去ってゆく。

 

三十の年までは若くて

 命の仲間。

 

六十を過ぎてっからの30年は

 こわばって老いてゆく。

 

この二つの三十の間の

 壮年期の三十年は

 しきりに動きまわり

 どんどん固いものに近づいてゆく期間。

 

どうしてこんなサイクルになるかって考えた事ある?

 

それは、ひとが生きるための競争に

 こだわりすぎるから・・・・・・・・

 

聞いたことがある。

 

生と死とは同じサイクルの中にある。

 

それを知って、

 命をそっと大切にする人は

 旅をしてもけっして

 猛獣のいるところへは行かない。

 

軍隊に入れられても

 武器をとる役には廻らない。

 

だから、その人の人生は

 虎の爪や犀の角にでくわさないし

 狂暴な人物の刃にもかかわらない。

 

それというのも

 生をとても大事にしているから。

 

自分の命を大切にして生きる限り

 死はつけいるすきがない。

 

第49章 心を空(から)にする人

心を空にする人は

 定まった意見なんか持たない。

 

その人がリーダーになると

 人々の考えや感じ方に

 どのようにも応じられる。

 

その人は言うだろう・・・・・

 

「おれは、善いものは、善とする。

 そして、悪いものも善とする。」

 

それこそタオの本当の<善さ>なんだ。

 

「おれは正直者を信用するさ。

 

でも、不正直ものだって信用するさ。

 

だって、それがタオの本当の<信じ方>だからさ」

こういうタオの人は

 世の中にいても

 とらわれないでいる。

 

心は誰に対しても自由でいられる。

 

人々はみんな口や耳や目を働かせ

 あれこれ言ったり見張ったりするけど

 タオの人は幼い子みたいに

 微笑んでいるのさ♪

 

第48章 内なるリズムに任せる

知識や礼儀作法は最初はだれでも取り入れる。

 

利益になるから。

 

でも、タオにつながる人は

 蓄えたものを

 忘れてゆくんだ。

 

損していくようにね。

 

どんどん損をしていき

 最後には・・・・・・

 

空っぽの状態になった時に

 人は内なる自由を獲得する。

 

それを無為という。

 

無為とは・・・・

 

知識を体内で消化した人が

 何に対しても応じられるリズムに任せて

 黙ってみていることを言う。

 

本当に大きな仕事をする者は 

 こういう姿勢でいる。

 

それができずに

 あれこれ指図ばかりしている者は・・・・

 

天下をとる器じゃないのさ(笑)

第47章 自分への旅

タオの道は世界にいきわたっている。

 

それど・・・・それは

 世界中旅して廻っても

 見つかりやしない。

 

インターネットの「ウインドウ」を

 いくら覗き込んでも

 わかりはしない。

 

遠くね尋ねてゆけばゆくほど・・・・

 

ますます遠くなる。

 

情報を集めれば・・・・集めるほどに遠くなる。

 

ますます分からなくなる。

 

タオの人はこんな時は

 逆に、あちこち出かけない。

 

ちゃんと知っているんだ。

 

キョロキョロ見回さなくても・・・・

 大事なものが見えている。

 

だから、ゆったりと

 何もしないでいて

 とてもつもない大きなことが

 仕上がってゆく。

 

自分の中でね(笑)