タオの第27章 その霧の向こうに

タオは自然を通して

 

われわれに語りかけてくる。

 

その語るところに従う人は

 何をしても、跡を残さない。

 

その人の言葉は、ひとを傷つけない。

 

ひと廻り大きな計算だから、

 ソロバンも計算機もいらない。

 

もっと大きな力の開け閉めに任すんで

 鍵なんか使わないでいる。

 

たとえば母と子の関係のように

 縄で縛りもしないのに、

 結び目はほどけない。

 

だからタオの人は

 ひとにたいして自然な気持ちでいるんだ。

 

誰を選び誰を捨てるなんてことはない。

 

善いものばかり選ぶなんてこともしない。

 

こういう態度はね。

 

世間の判断を従うのではなくて

 タオの自然に従う行為なんだ。

 

言いかえると、

 「善い人間」と「悪い人間」とは

 ただ表裏のことにすぎないと知っている。

 

「善い人間」が「悪い人間」の手本だとすれば、

 「悪い人間」は「善い人間」が学ぶ材料、

 いわばそれがなくては

 「善」を知りえない大切な元手だよ。

 

こういう大きな関係を学ばないで

 ただ実利や知識ばかり追う人ってのは

 霧に迷っちまってるのさ。

 

その霧の向こうに

 タオの要妙(シークレット)を潜んでいるんだよ(笑)