タオは自然を通して
われわれに語りかけてくる。
その語るところに従う人は
何をしても、跡を残さない。
その人の言葉は、ひとを傷つけない。
ひと廻り大きな計算だから、
ソロバンも計算機もいらない。
もっと大きな力の開け閉めに任すんで
鍵なんか使わないでいる。
たとえば母と子の関係のように
縄で縛りもしないのに、
結び目はほどけない。
だからタオの人は
ひとにたいして自然な気持ちでいるんだ。
誰を選び誰を捨てるなんてことはない。
善いものばかり選ぶなんてこともしない。
こういう態度はね。
世間の判断を従うのではなくて
タオの自然に従う行為なんだ。
言いかえると、
「善い人間」と「悪い人間」とは
ただ表裏のことにすぎないと知っている。
「善い人間」が「悪い人間」の手本だとすれば、
「悪い人間」は「善い人間」が学ぶ材料、
いわばそれがなくては
「善」を知りえない大切な元手だよ。
こういう大きな関係を学ばないで
ただ実利や知識ばかり追う人ってのは
霧に迷っちまってるのさ。
その霧の向こうに