第二章 「汚い」があるから「美しい」が在るのさ

天と地が生まれて

 物に名がついたわけだが、

 名とは・・・・・・

 物の表っ面(つら)にただ張りつくものだ。

 

美しいと汚いは、

 別々にあるんじゃない。

 美しいものは、

 汚いものがあるから、

 美しいと呼ばれるんだ。

 

善悪だってそうさ。

 善は、悪があるから、

 善と呼ばれているんだ。

 悪の在るおかげで

 善があるってわけです。

 同じように

 ものが「在る」のも、

 「無い」があるからこそありうるんです。

 お互いに

 片一方だけじゃあ、在りえないんだ。

 

長い、と言ったって

 短いがあるから長いのさ。

 

高い、と言ったって、

 低いものがあるから高いんだ。

 

一つの歌だって、そこに

 声とトーンがあるから歌になる。

 

前だって

 後があるから

 前もあるわけでね。

 

だから

 道(タオ)の働きにつながる人は

 知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。

 

ものの中にある自然のリズムに任せて

 手出しをしない。

 

すべてのものは生まれでて

 千変万化して働いてゆくんだからね。

 

このタオの

 本当のリアリティを受け入れる時

 人は・・・・

 何かを造りあげても威張らない。

 

成功しても

 その成果を自分のものにしない。

 

自分のものだと主張しないから

 かえって人から忘れられない。

 

そして・・・・・

 誰もその人の成果を

 奪い取ろうとしないんだ。

 

勉強になるね(笑)