第二章 中医の蔵象学説の五臓について 38頁♪

心臓の正常な拍動は心気に依拠する。

 

心気が充実してこそ、正常な心力、心拍数、心拍リズムを維持し、

 血液が脈中を行り、全身に栄養を補給し、顔色の紅潤

 (こうじゅん)、脈象(みゃくしょう:脈拍の速い遅い、強さ、深さ)

 暖和などが現れる。

 

血液の正常な運行も血液の充実に依拠(いきょ)する。

 

血が衰少し、血液が空虚であれば、心臓の正常な拍動と血液

 の正常な運行に影響を及ぼす。

 

鬱血(うっけつ)、チアノーゼ、前胸部の閉塞痛、および脈象の

 不規則になる。

 

心は神志、つまり神明を主り、「心は神を蔵す」ともいう。

神には広義と狭義の意味がある。

 

広義の神は人の生命活動の外在的な現れで、外形や顔色、

 目つき、言語、応答、姿勢など、あらゆるものを含む。

 

よく言う風采(ふうさい)である。

 

狭義の神は心の主る神志で、人の精神、意識、思惟活動の事。

 これらの活動は人体の生理功能の重要な一部であり、

 一定の条件のもとで人体全体の生理功能の協調と平衡に

 影響を及ぼす。

 

【脳は髄の海、頭は神明の府】

精神、意識、思惟活動は大脳の生理功能。

 

大脳の外界の物事の対する反応である。

 

このことは黄帝内経に明確な記述がある。

 

但し、蔵象学説では、精神、意識、思惟活動を五臓に帰属

 させるばかりか、心の生理功能にも帰属させる。

 

黄帝内経、霊枢の本神に「物を任(にな)う所以(ゆえん)のもの、之(これ)を心と謂(い)う」とある。

 

任は受容、担任の意味であり、心は外来の情報を受ける作用を具えている。

 

古代人が心を「五臓六腑の大主」といっているのは、神明を主る心の功能と不可分だからである。

 

不可分とは、分けようにも分けられないほど、密接に結びついていること。

 

言い回しが難しいけど・・・・

   何回も読んでいけば分かる気がする(笑)