心臓の正常な拍動は心気に依拠する。
心気が充実してこそ、正常な心力、心拍数、心拍リズムを維持し、
血液が脈中を行り、全身に栄養を補給し、顔色の紅潤
(こうじゅん)、脈象(みゃくしょう:脈拍の速い遅い、強さ、深さ)
暖和などが現れる。
血液の正常な運行も血液の充実に依拠(いきょ)する。
血が衰少し、血液が空虚であれば、心臓の正常な拍動と血液
の正常な運行に影響を及ぼす。
鬱血(うっけつ)、チアノーゼ、前胸部の閉塞痛、および脈象の
不規則になる。
心は神志、つまり神明を主り、「心は神を蔵す」ともいう。
神には広義と狭義の意味がある。
広義の神は人の生命活動の外在的な現れで、外形や顔色、
目つき、言語、応答、姿勢など、あらゆるものを含む。
よく言う風采(ふうさい)である。
狭義の神は心の主る神志で、人の精神、意識、思惟活動の事。
これらの活動は人体の生理功能の重要な一部であり、
一定の条件のもとで人体全体の生理功能の協調と平衡に
影響を及ぼす。
【脳は髄の海、頭は神明の府】
精神、意識、思惟活動は大脳の生理功能。
大脳の外界の物事の対する反応である。
このことは黄帝内経に明確な記述がある。
但し、蔵象学説では、精神、意識、思惟活動を五臓に帰属
させるばかりか、心の生理功能にも帰属させる。
黄帝内経、霊枢の本神に「物を任(にな)う所以(ゆえん)のもの、之(これ)を心と謂(い)う」とある。
任は受容、担任の意味であり、心は外来の情報を受ける作用を具えている。
古代人が心を「五臓六腑の大主」といっているのは、神明を主る心の功能と不可分だからである。
不可分とは、分けようにも分けられないほど、密接に結びついていること。
言い回しが難しいけど・・・・
何回も読んでいけば分かる気がする(笑)