近世の暦


平安時代の貞観4年(862)以来、中国の宣明暦による暦を使用してきたが、 800年後の江戸初期には、暦面と天象の実際の動きとのずれが大きくなり、改暦が企図された。その中で、初めて日本人の手になる暦法である渋川春海の『大和暦』が採用され、「貞享暦(じょうきょうれき)」と命名されて貞享2年(1685)から用いられた。
その後、西洋暦法を取り入れた改暦が試みられ、「宝暦」、「寛政」、「天保」と、江戸時代に四度の改暦が行われた。

 

貞享の改暦


貞享暦は、渋川春海(1639~1715)がみずからの観測に基づき、中国元代の授時暦に中国と日本の里差(経度差)を補正し、1年の長さが徐々に変化するという消長法を援用して改良した暦法である。貞享元年(1684)10月に改暦の宣下があり、暦号を「貞享暦」と賜った。それ以前は、春海はこの暦を「大和暦」と称していた。
改暦の機運のなかで、前例にならい中国の明の官暦「大統暦」をそのまま用いようとする伝統派に対し、春海は三たび上表し、みずからの『大和暦』の採用を願い出た。将軍家綱の後見役である保科正之や、徳川光圀をはじめとする幕府の有力者の知遇を得た春海は、改暦に不可欠な政治力をも持ち、改暦を成功に導いた。この改暦によって幕府は編暦の実権を握り、暦は全国的に統制された。春海はその功により、幕府の初代天文方に任命された。

貞享2年(1685)伊勢暦(暦首)

貞享の改暦後、最初の伊勢暦。前文に「貞観以降用宣明暦既及数百年推歩与天差方今停旧暦頒新暦於天下因改正而刊行焉」と改暦の理由を述べている。


宝暦の改暦


八代将軍徳川吉宗は、西洋天文学に深い関心を寄せ、算学家の建部賢弘(たけべたかひろ 1664~1739)やその弟子の中根元圭(なかねげんけい 1662~1733)を召して、天文暦学の研究を行った。また、元圭に『暦算全書』の訳述を命じたが、この書は中国に来た宣教師の編さんした『崇禎暦書』により、清の梅文鼎が西洋天文学の知識を取り入れたものである。
天文方の渋川則休(しぶかわのりよし 1717~1750)と西川正休(にしかわまさやす1693~1756)は吉宗の命を受けて改暦の準備を進めたが、吉宗や渋川則休の死、西川正休と土御門泰邦の対立、さらに正休の失脚などによって、改暦の主導権を土御門泰邦が握るに至った。進奏した暦法は「宝暦甲戌(こうじゅつ)元暦」と名づけられ、宝暦5年(1755)から施行された。この宝暦暦は、貞享暦にわずかな補正を加え、暦注を増したものであった。しかし、宝暦13年9月の日蝕予報に失敗し、幕府は明和元年(1764)に佐々木文次郎に補暦御用を命じ、明和8年(1771)から幕府天文方による「修正宝暦暦」が用いられた。

宝暦5年(1755)伊勢暦(暦首)

宝暦の改暦後、最初の伊勢暦。前文に「貞享以降距数十年用一暦其推歩与天差矣今立表測景定気朔而治新暦以頒之於天下」とあり、暦注を追加したことなどの注意書きが付されている。


寛政の改暦


寛政7年(1795)、幕府は西洋暦法による改暦を企て、広く人材を求め、中国の西洋暦書『崇禎暦書』や『暦象考成』を研究していた、大阪の麻田剛立(あさだごうりゅう 1734~99)門下の高橋至時(たかはしよしとき 1764~1804)と間重富(はざましげとみ 1756~1816)を起用した。至時は、天文方にも任ぜられ、先任の天文方吉田秀升、山路徳風とともに改暦にあたり、『暦象考成後編』および『暦象考成上下編』に基づいて『暦法新書』を完成させた。『暦法新書』は、寛政9年(1797)改暦宣下、翌10年から施行された。
『暦象考成後編』には日月の運行に対するケプラーの楕円軌道論があり、『暦法新書』に取り入れられている。至時は、その後もフランス人ラランドの天文書研究に没頭し、『ラランデ暦書管見』を残した。

寛政10年(1798)伊勢暦(暦首)

寛政の改暦後、最初の伊勢暦。前文に「順天審象定作新暦依例頒行四方遵用」とあり、新暦に基づいて作成したことを示している。


天保の改暦


寛政暦法は、中国の西洋暦書『暦象考成』を通じて間接的に西洋天文学を取り入れたものであった。高橋至時の死後、長男の高橋景保(たかはしかげやす 1785~1829、シーボルト事件で獄死)と次男渋川景佑(しぶかわかげすけ 1787~1856、天文方渋川家の養子)らによって、『ラランデ天文書』とよばれてたフランス人ラランド(1732~1807)著『Astronomie』の蘭訳書を完訳する作業が続けられ、『新功暦書』が完成する。景佑らは、これに基づく改暦の命を受け、天保13年(1842)『新法暦書』を完成させた。『新法暦書』は、同年10月改暦宣下、天保15年(弘化元年、1844)から施行された。

天保の改暦後、最初の伊勢暦。前文に、改暦の理由、暦号の由来などが記されている。

(資料:国立国会図書館)